日本でキューバ

キューバ革命の指導者フィデル・カストロ・ルス

コマンダンテから、私たちが学ぶもの、受け取ったものは、何と大きいのでしょう。それは、人間の真のあり方、最も美しい生き方です。

 人間にとって、自由と尊厳ほど尊いものはありません。

フィデルは言いました、「自由になるために、キューバ人はすべてを捧げ、すべてを危険にさらし、命さえ賭す」
その言葉どおり戦い、そして、フィデル率いる人々は勝利しました。これは、世界のすべての人々に、模範を示し、希望を与えました。
更に、革命勝利後、半世紀以上もの長きにわたって、世界最強米国の、残虐非道の「封鎖」にキューバ人民が一丸となって立ち向かい、なお尚、自由と尊厳を守り抜いていることは、キューバが“希望の星”と言われる所以でしょう。

フィデル・カストロ元議長の「すばらしさ」

半世紀を超える革命後の足跡を振り返るたびにフィデル・カストロ元議長の「すばらしさ」を再認識させられています。米国のいわゆる「制裁」やソ連解体など、想像を絶する困難な状況のもとで「人間らしい社会の建設」という理念を守り続けることがいかに難しいことか。この点については、米国の干渉に対するフィデルの「圧力に屈することなく正しい立場を守ること、しかし知的かつ現実的に立ち向かうこと、米国の行動がどんなに理不尽で非人道的であってもキューバの基本原則である誠実さや倫理を失うことなく対応していくこと」という言葉が思い出されます(2000年メーデー演説)。今回のコロナ対策でもこの理念が生きており、厳しい経済状況のもとにありながら、人間の命を守ることを第1に据え、政府と専門家と市民が一体となり、「知」の力と助け合いの精神によって感染拡大を抑止しました。昨年にはすべての人々の自由と平等や参加民主主義を掲げた新憲法が制定されています。いうまでもなく「キューバ独立の父」ホセ・マルティの思想の実現を目ざしたものですが、この基本理念に沿ってキューバがこれからどのような社会を建設していくのか。これはフィデルが革命後世代に託していった課題ですが、ポスト・コロナ時代に向けて世界各国で「新しい社会」が求められている今、私たちにとっても重要な課題であると思っています。

フィデルとの想い出

  直接にお会いし握手をしたのは、1963年7月、7/26の10周年記念日に招待された日本の政党(日本共産党の袴田里見、米原いたる、西沢舜一)、国会議員(自民党の宇都宮徳馬、臼井壮一、社会党の加藤勘十、島上善五郎)、朝日、毎日、読売(氏家斉一郎)の新聞記者、日本国際貿易促進協会の田中修二郎の諸氏に、当時在日キューバ大使館に勤務していた私が同行通訳として初めてキューバを訪問した時のことでした。

  まず革命広場での記念式典の前夜ICAPの広い庭で開催された歓迎レセプションでFidelが自ら入り口で世界各国からの招待客を握手で出迎えたときで、そのふくよかな大きな手の感触はいまでも記憶にあるほどです。

  記念式典ではJosé Martí像のある演台の下の特別席で4時間にもわたるFidelの演説を聴きましたが、ところどころ通訳をした記憶しかありません。

  その後、日本共産党の代表の方々とは別行動で、国会議員の方々に同行し、外務省でRaúl Roa外相、INRAでCarlos Rafael Rodríguezとの会見で通訳をしました。

【コマンダンテ誕生日によせて】

2003年、コマンダンテの訪広時の言葉を振り返る。「人類は広島の教訓を十分学び取っておらず、世界はまだ危険のふちにいる。たくさんの人々が広島を訪れなければならない」核の非人道性に嘆き被爆者を労わる、優しい姿を思い出す。

数日前、私は広島で原爆投下75年を迎えた。世界はまだ危険のふちにいる一方で、核兵器禁止条約もあと6カ国と発効に近づいた。生誕100年には、「コマンダンテ、核兵器はなくなります」と報告したいものである。

(写真は2012年、被爆者との会合/ハバナにて)

フイデル・カストロ生誕94 年にあたって

キューバの「特別機 」にあたって、友好と連帯を掲げた訪問団が 1993 年 12 月実施され、それを受け 1994 年 7 月 30 日に日本キューバ連帯委員会(通称: CUBAPON )が結成されました。

結成間もないCUBAPN に当時の 駐日キューバ 大使館の富田君子さんから電話がありました。 1995年 12 月 10 日か 11 日のことです。「フィデルが 12 日来日するので歓迎出迎えに成田空港へ行ってく
れないか」とのこと。 急な話で、 歓迎出迎えと言っても何をしていいかわからず、急遽、模造紙やポスターカラーを買い、手作りでキューバ国旗を 作り CUBAPON メンバー 2 人が成田空港に出向きま
した。ところが非公式の訪日ということかどうか(?)、通常の一般出口ではありませんでしたので、アタフタして何とか出迎えに間に合いました。当会のメンバー 2 人(女性)はハグされて光栄で舞い
上が っていましたが、如何せん我がメンバーは大変小柄で 、大使館からいただいた写真には 大きなフィデルの背中しか写っていませんでした。 (この背中の向こうに私がいるのヨ)と話に花が咲きまし
た。

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