日本でキューバ

フイデル・カストロ生誕94 年にあたって

キューバの「特別機 」にあたって、友好と連帯を掲げた訪問団が 1993 年 12 月実施され、それを受け 1994 年 7 月 30 日に日本キューバ連帯委員会(通称: CUBAPON )が結成されました。

結成間もないCUBAPN に当時の 駐日キューバ 大使館の富田君子さんから電話がありました。 1995年 12 月 10 日か 11 日のことです。「フィデルが 12 日来日するので歓迎出迎えに成田空港へ行ってく
れないか」とのこと。 急な話で、 歓迎出迎えと言っても何をしていいかわからず、急遽、模造紙やポスターカラーを買い、手作りでキューバ国旗を 作り CUBAPON メンバー 2 人が成田空港に出向きま
した。ところが非公式の訪日ということかどうか(?)、通常の一般出口ではありませんでしたので、アタフタして何とか出迎えに間に合いました。当会のメンバー 2 人(女性)はハグされて光栄で舞い
上が っていましたが、如何せん我がメンバーは大変小柄で 、大使館からいただいた写真には 大きなフィデルの背中しか写っていませんでした。 (この背中の向こうに私がいるのヨ)と話に花が咲きまし
た。

フィデルとの想い出

  直接にお会いし握手をしたのは、1963年7月、7/26の10周年記念日に招待された日本の政党(日本共産党の袴田里見、米原いたる、西沢舜一)、国会議員(自民党の宇都宮徳馬、臼井壮一、社会党の加藤勘十、島上善五郎)、朝日、毎日、読売(氏家斉一郎)の新聞記者、日本国際貿易促進協会の田中修二郎の諸氏に、当時在日キューバ大使館に勤務していた私が同行通訳として初めてキューバを訪問した時のことでした。

  まず革命広場での記念式典の前夜ICAPの広い庭で開催された歓迎レセプションでFidelが自ら入り口で世界各国からの招待客を握手で出迎えたときで、そのふくよかな大きな手の感触はいまでも記憶にあるほどです。

  記念式典ではJosé Martí像のある演台の下の特別席で4時間にもわたるFidelの演説を聴きましたが、ところどころ通訳をした記憶しかありません。

  その後、日本共産党の代表の方々とは別行動で、国会議員の方々に同行し、外務省でRaúl Roa外相、INRAでCarlos Rafael Rodríguezとの会見で通訳をしました。

【コマンダンテ誕生日によせて】

2003年、コマンダンテの訪広時の言葉を振り返る。「人類は広島の教訓を十分学び取っておらず、世界はまだ危険のふちにいる。たくさんの人々が広島を訪れなければならない」核の非人道性に嘆き被爆者を労わる、優しい姿を思い出す。

数日前、私は広島で原爆投下75年を迎えた。世界はまだ危険のふちにいる一方で、核兵器禁止条約もあと6カ国と発効に近づいた。生誕100年には、「コマンダンテ、核兵器はなくなります」と報告したいものである。

(写真は2012年、被爆者との会合/ハバナにて)

限りない尊敬と敬愛を込めて、フィデル・カストロ議長生誕記念メッセージ

先日、日本のテレビ(「テレビ朝日」)が、キューバの「コロナ禍に立ち向かう」様子を報道していたのを観ました。「ホームドクター制度があり、全てのキューバ人は無料で医療が受けられるし、徹底して健康管理が行われていて、コロナ禍は封じこまれています。」「自国だけではなく海外にも医師団を派遣し、世界の国々の人々を救っています。」と、「非常に、正しく」報道をしていました。番組のコメンテーターらは「初めて知った、キューバはすごい!」と称賛の言葉を次々と述べていましたが、この番組を観た多くの視聴者らも、そう思ったのではないでしょうか。(ただ、残念ながらアメリカによる経済封鎖が続いていて困窮していることなどは、ほとんど触れられませんでしたが。)

 

私たちは知っています。革命後、カストロ議長がすぐにとりかかったことが医療制度を確立することであり、それも、国家予算の25%を医療に充てる事を実行し、継続してきたことを。そして、アメリカからの経済封鎖・貿易・金融封鎖が続いている最中でも、何よりもキューバ国民の健康を第一に考えることは、継続されてきたことを。

さらに、アメリ合衆国でハリケーンによる大災害が起きた時、「ヘンリー・リーブ隊」という名のキューバ医療隊を派遣することを、カストロ議長が提案し実行されたことを。

フィデル・カストロの驚くべき予見力

偉大なる革命指導者のフィデル・カストロ同志がなくなって4年が経過しようとしています。キューバ革命史を研究する私にとって、フィデル・カストロ同志の傑出した長期的洞察力を感じさせる歴史的な事件が2件あります。

 

一つは、1958年6月5日にシエラマエストラから、同志のセリア・サンチェスに宛てた次の手紙です。

「シエラマエストラ

58年6月5日

 

セリア:

マリオの家にロケット砲が打ち込まれるのを見たとき、アメリカ人に、彼らが行っていることに高い代償を払わせてやると私は誓った。この(バチスタとの)戦争が終わった時、私にとって、はるかに長期にわたる大きな戦争が始まるであろう。その戦争を、私は彼らに対して行うつもりだ。それが、私の真の運命となることが私にはわかっている。

フィデル」

 

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